2025年 ペテシュバトゥン湖 掘削調査

2025年、私たちの新たな挑戦が始まります。

グアテマラにある湖、ペテシュバトゥン。なんとこの湖の底には、1年に1cm以上の厚さを持つ、世界最高品質の年縞が眠っているんです。この年縞は、マヤ人が経験した日々のお天気を、きわめて細かく記録しています。

この年縞を掘り抜いて、「超」精密な時計を作り、古代マヤ人が「日々」のくらしの中で経験した「お天気」の変化まで復元したい ――。それができれば、マヤ文明衰退の手がかりを得られるだけでなく、気候変動の実態に迫ることだってできるはず。

現在、私たちが直面している「暴れる気候」。これは本当に「異常」な状態なのでしょうか? 過去のお天気を細かく見ていけば、ひょっとすると気候は折に触れて暴れる性質を持っているかもしれません。気候が穏やかで安定であるという私たちの「ふつう」は、じつは地球にとっては「ふつうじゃない」かもしれません。

ペテシュバトゥン湖の年縞には、暴れる気候の時代を生きる私たち・現代文明へのヒントがつまっています。

今回、写真家の竹田武史さんを新たなメンバーに迎え、グアテマラの掘削現場から調査の模様をリアルタイムで伝えていただけることになりました。私がこどもだった頃、マヤ文明の番組を見ながら感じたドキドキ、ワクワクした気持ち。それをぜひみなさんと共有できたら嬉しいです。

私たちと一緒に新しい冒険の旅に出かけましょう!

北場 育子(ペテシュバトゥン湖 年縞プロジェクトを代表して

竹田武史の

シマシマ調査隊日記2025

広大な樹海。
樹海に浮かぶ幾つもの湖。
何万年もの昔にこの地に芽生えた生きとし生けるものたちの残滓が湖底に沈み、
シマシマの地層(年縞)を生み、記憶へと変わる。
そう、わたしたちが求めるものは、
見えなくてもそこにある、生きとし生けるものたちの記憶。
あの湖底に眠るシマシマの地層(年縞)を求めて、今、冒険が始まる—

1.プロローグ '25.1.19

新年あけましておめでとうございます

本年もどうぞよろしくお願い申し上げます

 

少し出遅れましたが、この新しいブログページの開設を、おめでたい新年のご挨拶からはじめさせて頂きました。


2022年のサン・クラウディオ年縞掘削調査から早や3年が経過しようとしている今年、シマシマ調査隊は、グアテマラ北部のペテン県にあるペテ湖<正式名称:ペテシュバトゥン湖>へ新たな年縞掘削調査に向かいます。


本隊は1月21日出発~3月20日帰国の予定ですが、私が現地調査にご一緒できるのは2月24日まで(涙)。


申し遅れましたが、わたしは調査隊の映像記録班を担当します写真家の竹田武史と申します。


人類史全体で見ても類まれなる冒険的な調査によって、世界的な大発見をもたらすであろうシマシマ調査隊の行程をドキュメントしつつ、その一部始終をこのブログを通じて、臨場感あふれる写真と文章でみなさまにお届けするのがわたしの役目です。


笑いあり、涙あり、シマシマ調査隊の活動が血と汗の結晶を結ぶまで、温かく見守って頂けましたら幸いです。


それでは、スタートしたばかりの新しい年が、みなさまにとって幸多き一年となりますようにお祈り申し上げます!


シマシマ調査隊・映像記録班 竹田武史


1974年京都生まれ。東京在住。同志社大学神学部卒業。大学在学中に一年間休学し、一眼レフカメラと共にオーストラリア大陸を放浪一周する。帰国後は写真家・井上隆雄に師事。1997-2001年、日中共同研究プロジェクト「長江文明の探求」に記録カメラマンとして参画。当プロジェクトリーダーを務めた環境考古学者・安田喜憲の指導のもとポスドク研究員だった古気候学者の中川毅と出会い、中国辺境地域でのシマシマ地層の掘削調査に同行する。2001年フリーランスの写真家として活動開始。日本人の精神文化のルーツを求めて中国、アジアへの旅を続ける。2010年コニカミノルFOTO PREMIO大賞、2014年京都府文化賞奨励賞受賞。日本写真家協会(JPS)正会員   https://www.takedatakeshi.com/

2.グアテマラシティにて ’25.1.23

オラ!みなさま、こんにちは。


わたしは今、グアテマラの首都グアテマラシティにいます。

シマシマ調査隊のメンバー6人は、1月21日に成田空港を発ち、約13時間のフライトを経てメキシコの首都メキシコシティへ。この日は空港に直結するホテルで一泊し、翌朝飛行機を乗り継ぎ約1時間半のフライトで22日にグアテマラシティに到着しました。標高2300mにあるメキシコシティは東京並みの寒さでしたが、ここグアテマラシティのラ・アウロラ国際空港に降り立つと、ムンとした熱気に包まれ、はるばると地球の裏がわ付近まやって来たことを肌身で実感しました。ただ、飛行機の狭い空間から解放され、普段ならノビノビと活動を始めるわたしも、時差のためか今もまだ頭が少しボーとしています。大きなあくびをしながらホテルに荷物を預け、中心街にあるショッピングモールで買い物をして、軽くランチを済ませた後、シティ郊外の丘陵地にあるバジェ・デ・グアテマラ大学を訪問しました。この大学の考古学科は、わたしたちの今回の調査活動にとって欠かすことのできない大切なカウンターパートなのです。

トマス・バリエントス教授、ラウル・オルティス博士と固い握手を交わし、若い研究者たちに古気候研究への理解を深めてもらうために、調査隊メンバーの中川毅さんが古気候学の講義を行いました。古気候学の分野においてはもちろんのことマヤ考古学においても、これからわたしたちが掘削に向かうペテシュバトゥン湖が、「奇跡の湖」と言われる日本の水月湖と並び、いかに大きな可能性を秘めているかということを、これまでの研究データをひも解きながら力説されました。こうして40分の講義とその後の交流を無事に終えて大学を後にすると、途端に疲れが・・・、大学近くで見つけたコロニアルスタイルのおしゃれなカフェに立ち寄り、ようやくほっと一息つくことができたのでした。 

ついに出発

右端から長屋憲慶さん(福井県年縞博物館 学芸員)、北場育子さん(立命館大学 古気候学研究センター副センター長)、北村篤実さん(西部試錐工業 会長)、中川毅さん(立命館大学 古気候学研究センター長)、佐田康郎さん(西部試錐工業)

アグア火山が迎えてくれる

移動中の車内で預かった手紙を読んで感激する北場さん

ホテルに到着

コーディネーターの五十嵐テルマさんと
カクテルツアーズの五十嵐哲雄さん・テルマさんご夫妻が

今回の調査を強力にバックアップしてくださいました

ランチセット

バジェ・デ・グアテマラ大学を訪問
現地メンバーとともに

右端からフアン・デ・パスさん、クリスティアン・ウスさん、サマンサ・コルテスさん、トマス・バリエントス教授、ラウル・オルティス博士、中川さん、北場さん、フランシスコ・ペレスさん

本日のご褒美。中川さんお疲れさまでした!

早朝のホテルからの眺め

3. 国立考古学民俗学博物館 とカミナルフユ遺跡            '25.1.28

1月24日早朝にグアテマシティを出発した調査隊は、26日正午に掘削調査のための宿泊拠点となるサヤスチェの町に到着しました。これから約ひと月間滞在するこの町についてはあらためて報告させていただくとしまして、今日はグアテマラシティで見学した国立考古学民俗学博物館とカミナルフユ遺跡についてふれておきたいと思います。


ラ・アウロラ空港からほど近いところにある国立考古学民俗学博物館は薄いピンク色の壁に囲まれたコロニアルスタイルの建物で、館内にはマヤ文明の出土品が数多く展示されています。黒曜石の石器、色彩鮮やかな土器、翡翠の工芸品など数多ある展示品の中でもとりわけ存在感を放つのが、「ステラ」と呼ばれるマヤ文明の支配者たちが残した石碑の数々です。中央に描かれた精緻な彫像に威圧される一方で、シュールな絵文字の羅列にはどこか怪しげな、神がかり的な世界を感じさせられました。


博物館からカミナルフユ遺跡へはタクシーで移動。住宅街のなかに突如現れた遺跡公園は木々に囲まれていて道路からは中が何も見えません。鉄柵のゲートを抜けるとなだらかな丘が広がっていました。少し歩いたところにアクロポリスの跡が発掘されたままの状態でトタンの屋根を被せて展示してありました。正直言って、この一部分から遺跡全体のスケールを想像してみるのはちょっと難しいと感じました。ちなみに先古典期から古典期にかけて高地マヤの中心地だったカミナルフユは5平方キロメートル、平安京と同じくらいの規模だったそうです。遺跡の大部分は市街地の下に埋もれていて、現在、少しずつ発掘が進められています。


ところで、カミナルフユ遺跡ではとても興味深い出会いがありました。発掘跡からさらに丘を越えたところに、マヤの人々が崇めるセイバの木が聳え、木の下に設えられた円形の暖炉の周りで人々が、花びら、とうもろこし、ロウソクなどを燃やして、葉巻をふかしながら、セイバの木に熱心に祈りを捧げていました。

「こんにちは。何をしているのですか?」

「セイバに煙を送り届けて、その代わりに神聖なエネルギーをもらっているのよ。」

そう言って差し出された葉巻をわたしも試しに吸ってみましたが、とくに濃厚な味がするわけでもなく、頭がくらくらもしませんでした。木陰でテーブルを囲んでピクニックを楽しんでいた家族に声をかけてみると、闘病中の母親を連れて家族みんなでセイバの木に祈りを捧げに来たとのこと。グアテマラに来て間もなく、しかも街中で、マヤの人々の伝統的な祈りの世界と出会えたことに小さな喜びを感じました。


その後、往時のカミナルフユの姿をもっとイメージしてみたいと思い、遺跡公園から歩いて20分ほどにあるミラフローレス博物館に行きました。外観、内観も合わせてかなりアート方向に振りきった展示が魅力的でしたが、最後にたどり着いた屋上からの眺めもとても素晴らしかったです。かつてのカミナルフユ、現在のグアテマラシティの立地する盆地全体を五感をとおして確かめることができました。

国立考古学民俗学博物館

カミナルフユ遺跡

ミラフローレス博物館

4. グアテマラシティ~フローレス~サヤスチェ ‘25/2/2


1月24日、空路でフローレスへ移動した調査隊は、しとしとと降る雨に迎えられました。

まず空港から車で町に買い物に行きました。飛行機での移動はもうありませんから、調査地で使う材木や軽油を入れる携行缶、扇風機やクーラーボックスなど生活用品を購入しました。町には大型のショッピングモールがあり、思いのほか品ぞろえが豊富なことに驚かされました。わたしはシャンプー、石けん、靴下、サンダルなどを購入しました。雨対策として防水スプレーも探してみましたが、残念ながら見つかりませんでした。

 

買い物を済ませた後、ペテン・イツァ湖に架かる橋を渡ってフローレス島へ。宿泊先のホテルに到着するとゲート手前まで水位が上がり、湖岸の遊歩道もすっかり水に浸かっていました。グアテマラの気候は大きく雨季と乾季に分かれていて、今は乾季の始まりなのですが、どういうわけか今年はまだ雨が続いているようです。ただ、これから行う湖の掘削調査の条件としては、水位が下がりすぎている状態よりもずっと良く、どちらかというと吉サインとのこと。

 

そんな話をしている最中、グアテマラシティの運送業者から連絡が入りました。今日、サヤスチェに向かうはずの機材がまだ税関を通っていないとのこと。あらゆる可能性を考えてすぐに対策を講じなければなりません。早速、現地コーディネーターの五十嵐テルマさん、日本側の運送業者さん、そして日本大使館など関係各所とメール、電話でのやりとりを開始。明日、サヤスチェまで行き、翌日にいくつかの用件を済ませた後、中川さん、北場さんの二人はグアテマラシティに戻ることに。わたしはというと、憧れのフローレス島まで来たものの・・・雨とこの出来事とで束の間のリゾート気分は一瞬で吹き飛んでしまいました。

 

翌朝、雨が上がったので、出発までのわずかな時間を利用して島の中を散策してみました。カラフルな壁と石畳の街路のとても素敵な雰囲気の街並みが続いていて、小高い丘を上がったところには広場があり、純白のカテドラルが建っていました。広場の中心には展望台があり、その傍にマヤ時代の石碑がひっそりと佇んでいました。展望台には鍵が閉まっていて上がることができなかったので、広場から景色を眺めてホテルへ戻りました。

 

10時にフローレスを車で出発。サヤスチェまで約2時間の道のりは森と畑と牧場の景色が続き、途中にある小さな村も瞬く間に通り過ぎていきました。


サヤスチェの町に入る手前で、今回の調査でお世話になる貸ボート屋の船頭・ワルテルさんの家に立ち寄りました。高床式の大きな家屋。川岸にはマングローブの幹にたくさんのボートが係留してありました。ワルテルさんと半時間ほど打ち合わせを行った後、いよいよサヤスチェの町へ。

 

パシオン川をフェリーで渡河しました。10台ほどの車を積んだフェリーは、側面に繋いだ2つのエンジン付きの筏で大きな船体を動かしていました。甲板に立って景色を眺めると、バイクや自転車専用の船、人を乗せた木船がゆったりと流れる川面を行き交っていました。心に染み入る美しい風景でした。日本では渡し船が失われて久しいですが、このように時間をかけて雄大な自然を越えて行くことは、ある種の通過儀礼のようだと感じました。ようやく調査地にたどり着いた安堵感とともに、これから始まる挑戦の日々を思うと身の引き締まる思いがしました。


フローレス

フローレス~サヤスチェ

頼もしい仲間・ワルテルさん

サヤスチェのホテルに到着